くらす・はたらく

逗子のために「つなぐ」役割 逗子葉山経済新聞 編集長 玄 真琴さん

2020.10.28(水) 働く人  暮らす人  

逗子葉山経済新聞の編集長、玄 真琴(げん まこと)さん。逗子・葉山に特化したメディアの編集長でいらっしゃると同時に、幼少期を逗子で過ごされ、現在も逗子にお住まいの生粋の逗子っ子。いろいろな角度から逗子を見てきた玄さんに、ご自身の思い入れが深いという浪子不動園地でお話を伺いました。

 

逗子を離れるのが嫌で、逗子の写真をずっと部屋に飾ってた

── よろしくお願いします!逗子葉山経済新聞の編集長でいらっしゃるとのことですが、メディアについて簡単に教えていただけますか?

逗子葉山経済新聞は「みんなの経済新聞ネットワーク」に所属し、街の記録係が大きなテーマ。2018年4月に開設されました。事件・事故は扱わず、みんながハッピーになるニュースを伝えるウェブメディアです。読んだ人が読んだだけで終わらず、行動に移せることを心がけています。

── 編集長であると同時に、現在も逗子にお住まいの逗子市民でもいらっしゃると、、、ご経歴を簡単に伺ってもいいですか?

もともと幼少期を逗子で過ごしました。6年生になるときに宇都宮に越さなければならなかったのですが、本当に逗子を離れたくなかった。中・高校生は宇都宮で過ごしたのですが、逗子の海の写真をずっと部屋に貼っていました。

放送作家として働き始めた後、番組で知り合った女子マラソン選手の増田明美さんの講演会のお手伝いや雑誌ランナーズの広報業務、湘南国際マラソンの大会運営などをしていました。

最初の職業、放送作家が「どうやったらその人にその人らしい言葉で語ってもらえるか」を考える仕事でした。今にして思えば媒体は変わったけど、そのものの魅力を人に伝えるという点は一貫していたかなと思います。

逗子には東京を経て、20年ぶりに戻ってきました。

逗子の原風景が無垢な自分を思い出させてくれる

── それにしても20年間逗子への想いが消えなかったのはすごいですね!

やはり原風景ってよく言いますけど、幼い頃の記憶があったからだと思います。日曜日になると父が、私と弟をよく海に連れて行って、ここ(浪子不動園地)から披露山公園に登ることがよくあったんですよ。すごく淡々としてました。それでも理屈じゃなく楽しかった原風景ですね。戻ってきたときもその原風景が残ってましたね。逗子銀座商店街とか、駅舎とか。

そういう意味で、逗子は無垢な自分を思い出せる場所ですね。誰に言われたか思い出せないのですが「仕事とかで迷ったら原点に戻るのが一番いい」と言われたことがあります。本当にその通りだなと思います。逗子という原点があるから安心して仕事や生活ができるのだと思います。

──確かに、逗子は過去の風景が残りつつ最近になっていってる気がします。所々に過去を思いださせる風景が残っていますよね。

そうですね。披露山公園の猿小屋で小指を噛まれた思い出とか、いまだに過去に戻れる一瞬が逗子にはあります。その安心感は心強いですね。

確かに、なぎさホテルがなくなってたり、逗子銀座商店街の写真館が閉店したりと、寂しさみたいなものがあるのですが、それでも海や山、小学校や商店街が残っている限りは、ここで幼い頃も生きていた実感を感じられますね。

移住してきた人の暮らし方、働き方は逗子にとっても良いチャンス

──昔と今を見て。住む人の変化や街の移り変わりなど感じるところはありますか

逗子育ちではない若い方々が多く移り住んでるなというのは実感します。

実は逗子にずっと住んできた70代80代の方々は、ボランティア活動なども全て手弁当でやってきた方々なんです。でも今は誰もがボランティアで動ける時代ではないので、お金の回し方や若い人との関わり方をうまくやっていかないとね、ということを先輩の方々とも話しています。

──逗子とのとても深い思い出がある一方で、地域メディアの編集長として客観的にも逗子を見てらっしゃいますが、玄さんが思う逗子の魅力ってなんですか?

ブランド力が両脇の街(鎌倉・葉山)に比べると弱い分、良い意味で庶民的な部分が残ってるところですかね。最先端の街ではないけど、全国や世界を見て回った方が逗子に移住して来るような、そういう場所なんでしょうね。先日も引き売りの農家の方にであったりと、20年以上住んでいてもまだまだ知らない魅力があります。

──東京で満たせないものが逗子にはある反面、逗子に足りないものを東京が持っているという持ちつ持たれつな関係性なのかなと思いました。

そうですね。よくも悪くものんびりしている風土なので、多少なりとも東京や横浜などの都会と接点を持たないと置いてかれていっちゃうなという危機感はあります。

逗子に移住してきた30-40代の方々が、逗子に住みながら東京でバリバリお仕事をしているのは、逗子にずっといる私たちにとっても、そういった働き方を受け止めるチャンスだと思いますし、そのような方々と逗子にずっと住んでいる方々が一緒に何かをやっていけるようになったら逗子にとってもいいことなのかなと思います。

果たしたいのは「つなぐ」役割

──いろんな視点で逗子を見てこられたと思いますが、ご自身の、逗子における役割ってなんですか?

難しい質問ですね。(笑) 

突き詰めると・・・いろいろな意味で「つなぐ」なのかなと思います。

みんなの経済新聞ネットワークを通じて逗子とそのほかの地域をつなぐ役割がありますし、逗子の中でも取材などを通じて出会った方々同士をつなぐ役割があるのかなと思います。

年代的にも年上の方々と若者をつなげる立ち位置かなと思います。70代でも現役で働かれている方が、こういう若い人はいないかなと探しているときに、間に入ってつなぐことができる。

逗子葉山経済新聞はまだ3年目なのですが、読んでるよと言ってくださる方が増えてきています。「こういう人探してるんだけど」という時はお声かけいただける、街の人材バンクのような機能にもなれているのかなと思います。

──最後に、今後やっていきたいことを教えてください。

老舗のお店が閉店してしまう時は取材に行くようにしているのですが、昔の話を聞くと時間の流れも今とは全然違ったようで、例えばカーテンを仕立てるにも、各家庭で布を買って仕上げていたそうなんです。そんな方々が暮らしていた場所なんだなとしみじみ思います。

逗子葉山は重要な文化・文学や歴史を抱えています。各界の名だたる方々の別荘が逗子にあり、政治が逗子で動いていたという話もあります。その頃の話をできる方がご高齢になってきているので「今聞きにいかなければ!」という思いがあります。

──後世に「語りつなぐ」という意味で、それも玄さんだからできる「つなぐ」なのかもしれませんね。インタビューの随処から玄さんの逗子に対する想いの強さを感じました!ありがとうございます!

=玄さんのおすすめスポット=

車で鎌倉から逗子に戻るとき、トンネル越えて逗子湾が丸く見える風景

「特に夕暮れ時ですね。点々と灯りがついてる感じが好きです。それも私にとっての原風景なのかもしれません。」

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逗子葉山経済新聞:https://zushi-hayama.keizai.biz/

ライター紹介

Kentaro Ito

鎌倉市出身。訪日旅行メディアの創業期、地域PR映像制作プロジェクト、訪日プロモーション企画、国際スポーツイベント関連など、ツーリズムと編集を軸にしたフィールドにいます。海と山に囲まれた観光地で育った経験から、自然・文化を活用した体験コンテンツやオーバーツーリズム解消策が目下の関心領域。

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